コープぎふの東日本大震災支援の取り組みは宮城県(みやぎ生協)中心でしたが、今年度、福島第一原発事故で大きな被害があり、今も見えない「放射能」と闘ってみえる福島県への応援にも取り組もう!と組合員理事3名と職員1名で現地に行ってきました。
初日は、コープふくしまの穴戸常務理事と有松組合員理事の案内で郡山市から、被害の大きかった太平洋沿岸部(浜通り)の様子を自分の目で見て、感じて、改めてその被害の大きさと深さを実感しました。
この写真は、押し寄せる津波から一人でも多くの方を救おうと、最後まで町内を回り二名の若い警察官が乗っておられたパトカーです(富岡警察署)。
最初に訪れた富岡町では、4月1日に一部地域を除き避難指示が解除されたこともあり、七年ぶりとなる「夜の森 桜まつり」の開催に向けた準備が進んでいました。「夜の森」は桜並木が2km続く県内でも有数の桜の名所です。祭りを通じて「一歩でも前に進みたい」「町を元気にしたい」という町の方の思いが伝わってきましたが、道を一歩隔てると「帰還困難区域につき通行止め」という看板があり、今いる所と何が違うんだろう?と思わざるを得ませんでした。この桜並木も300m程しか入ることができません。
津波で大きな被害のあった富岡町の駅前では、現在も竜田〜浪江町間で不通となっている常盤線の復旧に向け、駅舎の建設、バスターミナルの整備が急ピッチで行なわれていました。
また、津波被害の大きかった場所での区画整備が進み、復興住宅などの建設が進んでいました。
富岡町同様、一部地域を除き避難指示が解除された浪江町では、沿岸部の防波堤の修理や新設、海底のガレキの処理が行なわれており、工事用車両がひっきりなしに通行していました。
常盤線の浪江町〜仙台間は復旧しましたが、町に戻る人はほとんどなく、駅に待機している列車に乗客の姿はありませんでした。また、駅前は津波の被害こそありませんでしたが、地震による建物の被害は大きく、立ち入り禁止のテープが張られた建物が多く見受けられました。住むためには、大規模な改修や新築が必要。との事でした。
二日目は福島市に八つある浪江町の仮設住宅の一つ「北幹線第一住宅」にうかがい、コープふくしまさんが主催してみえる「茶話会」に一緒に参加してきました。当日はコープおおいたさんから届いた「ハンディモップ」の手作りキットを作りながらの交流となりました。震災当日、津波に巻き込まれながらも逃げた事や、当時の町の暮らしぶりや美味しい魚の事、原発事故で帰りたくても帰れない事、そして避難先での苦労話しなどたくさんお話しを伺いました。
コープぎふでは、今年度、コープふくしまさんにもお力添えをいただきながら、福島の地で出来る応援活動に取り組んでいきたいと考えています。