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組合員活動(活動レポート)

みやぎ生協にうかがい、被災地の視察を行ってきました(1月30~31日)

【2018.03.29 更新】

須田・林両理事が、みやぎ生協にうかがい、生活文化グループの高村さん、山田さんに宮城県での震災支援に関する活動の現状と次年度の取り組み等についてうかがってきました。
・仮設住宅の終了や住居の転居などにともない、「ふれあい喫茶」の会場も14会場に減っているが、「復興住宅」や「せいきょう便」の停車間所などでの新しい「ふれあい喫茶」も始まっている。
・店舗での「ふれあいカフェ」の取り組みが始まっている。
・支援を受けるだけでなく、「熊本地震」や「岩泉の水害」の支援の取り組みを始めた。
・東日本大震災の風化を防ぐために、情報の発信や被災地訪問企画の取り組みに力を入れている。
・被災地では、応急仮設住宅の終了や集約が進んでいるが、災害公営住宅の建設等が遅れている地域では「特定延長」が決定された。
・沿岸部の小さいな町では人口減少が深刻な問題になりつつある。女川では震災前の2/3程度まで減少。
こうした状況をうかがい、次年度のコープぎふの東日本大震災支援活動にいかしていく事にしました。

翌日は、高橋理事の案内で被災地を見て回りました。
名取市では津波被害の教訓から東西に伸びる道路の建設・整備が急ピッチで進められていました。
コープぎふでは毎月開催される「ふれあい喫茶」に「岐阜のお菓子」を送っていますが、その仮設住宅の一つ「箱塚屋敷団地仮設住宅」にも立ち寄りました。ここは5月に閉鎖され、美田園仮設住宅に集約される事が決まっています。仮設住宅のみなさんから嬉しい寄せ書きをいただきました。

山本町では、語り部の渡邉さんに同行していただき。町の様子を伺いました。
・津波による浸水範囲は町面積の37.2%、浸水域世帯数2,913世帯(52.3%)、全壊家屋2,217棟、死者637名。
・応急仮設住宅は0戸となり、町内3箇所に新市街地を建設。防潮堤を1m嵩上げ、常磐線を1.1km内陸に移動(旧常磐線は嵩上げして第二防潮堤として県道に)。
・中浜小学校では2階屋根裏部屋に児童・保護者・近隣住民が避難して全員が救出。校舎新設時に1.5m嵩上げしたこと、隣にあった体育館が引き波を受け止めたという事が一人も犠牲者を出さなかった要因に。

名取市閖上では、みやぎ生協の職員でもある語り部、そして閖上中学校遺族会会長の丹野さんに「閖上の記憶」でお話しを伺いました。
・閖上地区では800名の方が震災の犠牲になった。閖上中学校では14名の生徒が犠牲に…丹野さんの息子さんも。
・「閖上の記憶」の由来は、自分達がそこに生きてきた「記憶」。そして津波によって多くのものを失った「記憶」。自分の記憶や感情に向き合う、その人にとって大切な「記憶」を整理する場所。
・震災当時は揺れによる被害は大きかったものの、避難場所で「津波なんて大したことないだろう?」のみんなの思い。「今晩の晩ご飯どうする?」とおしゃべり、その間に5,000人が暮らしていた閖上を津波が襲った。
・また、大きな災害は必ずやってくる。今のうちに備えをきちんとしておくことが必要。

仙台市荒浜では、震災遺構の荒浜小学校を市職員の案内で訪問しました。
・津波は2階廊下膝上あたりま到達。4階に児童・職員・住民が320名が避難し全員無事。余日から自衛隊ヘリにより救出。
・荒浜小学校が何故倒壊・死者を出さなかったのか?海側にある貞山堀(運河)が津波を一旦受け止めた。校舎が南北でなく東西に向いて建っていた。耐震工事が終わっていた。などの要因がある。
・しかし、最大の要因は、災害時「校庭」→「体育館」という避難マニュアルを「体育館」ではなく「校舎2階以上」に変更していた(校舎隣の体育館は津波により全壊)。町民の結束が固い地域、避難訓練の実施や当日も町内会長さんが町単位に避難する教室を振り分けたり。
・荒浜小学校の時計は2時46分ではなく、津波が到達した3時54分で止まっている。