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組合員活動(活動レポート)

コープぎふ20周年記念「~未来につながる~福島・宮城スタディーツアー』を開催しました

【2019.11.06 更新】

10月26日(土)~28日(月)の3日間、コープぎふ20周年記念企画として、『~未来につながる~福島・宮城スタディーツアー』を開催し、組合員19名、職員3名が参加しました。
東日本大震災発生以降、募金活動やふれあいサロンに毎月お菓子を送る等の支援活動に取り組んでいます。震災から8年目の今年、組合員にも現地に足を運んでいただき、震災発生当時の状況から復興の様子、そして現在も続く問題を今一度学び、見て、聞いて、感じたことを今後の災害に備えるためにも“伝道師”として語り伝えていただこうと「コープぎふ 20周年企画」として開催しました。

1日目に訪れた福島県では富岡町、大熊町、二葉町、波江町と南から北上するかたちで訪問しました。みやぎ生協(コープふくしま)の職員宍戸さんと理事の日野さんに案内いただきました。
富岡町ではバスの車窓から「夜の森の桜」を見学しました。震災前は桜の咲く頃多くの人が集まり賑わったそうですが、今はひっそりとしていました。2018年3月に各務原市市民公園にもこの桜が植樹されました。
大熊町は原発事故の影響で帰還困難区域に指定され、事故のあった日のまま何も変ることなくバリケードで囲まれ立ち入り禁止となった建物、進入禁止となった道路が多くありました。震災当時のまま、時が止まってしまっていました。

東京電力廃炉資料館を見学しました。原子力事故の事実と廃炉事業の現状を確認する施設です。原発事故が起こる前までは福島の子どもたちはここで『原発はこんなに素晴らしいんだよ』ということを教わる施設だったそうです。現在のハイテクな技術を駆使しても廃炉には30年、40年かかるといわれています。「一度何か起きたら、人の手には及ばない」と宍戸さんはおっしゃいました。また原発事故の影響は物質的だけでなく、目に見えないからこその不安から、人と人とのつながりや、地域の関係、生き方そのものにまで及んでいるそうです。もう二度とこんな苦しい生活をする人がでないように、忘れないでほしいとおっしゃいました。
その後浪江町に向かいました。帰還困難区域の指定は解除されてはいるものの、視察した請戸小学校周辺は津波で街が流されたままの状態になっており、ここに人が暮らす町があった…とは説明を聞かなければわかりません。波江駅の周辺では、駅舎以外、夜になっても電気のついている家は少なく、とても寂しい街でした。

2日目は宮城県に入り、山元町、名取市、仙台市を訪れました。山元町では「やまもと語り部の会」の渡辺さんに案内していただきました。山元町立中浜小学校は2階天井まで浸水しながらも校舎の屋根裏、屋上倉庫に避難して、児童・職員90名がたすかりました。周辺は危険区域になっており、住居は建てられず、田や畑、工場を誘致するそうです。渡辺さんからは震災直後の避難所の様子について伺いました。中学校の教室を開放して自治体ごとに割り振り運営したため、団結力が生まれ、避難所生活のストレスをやわらげたそうです。津波で24人亡くなり、14人が行方不明となった常磐山元自動車学校の跡地を訪ねました。今年8月に行方不明となっていた大久保真希さんの遺骨がご両親の元に帰ってきたというニュースがありましたが、ちょうど大久保さんのご両親がお参りにいらしており、お話することができました。

名取市閖上町区は津波により壊滅的な被害を受けました。5,000人以上の人々が住んでいた街は更地になり、709名の方が亡くなりました。当時中学1年生だった息子さんを亡くされた丹野さんは、閖上の地に街があり、くらしがあり、子どもたちがいたことを覚えていてほしいとの思いで亡くなった閖上中学校の生徒14名の名前を刻んだ慰霊碑を建立されました。慰霊碑は多くの方に触れていただきたいと、誰もが触れることのできる閖上小中学校に設置されています。
仙台市荒浜小学校は2階まで津波が押し寄せましたが、学校にいた児童、職員は屋上に避難し無事だったそうです。この建物は震災遺構として後世に伝えていく役割を持っています。

今回2泊3日のツアーでしたが、現地に行かないと分からないことや感じられないことがたくさんありました。ニュースで聞いた津波の高さと、実際に建物についた波の跡で知る高さの驚くほどの違い。原発の影響で変りたくても変れない地域、復興でどんどん街が変っていくことに不安や寂しさを感じる地域、そこに住む人しか分からない気持ちをお聴きすることができました。
今回のツアーで学んだこと、見たこと、聞いたこと、感じたことを一人でも多くの人に伝え、これからも被災地を忘れることなく、今できる支援をしていきたいと思います。コープぎふでも引き続き被災地を支援する取り組みをおこなっていきます。